行方市佃煮の始まり
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佃煮の起源
江戸幕府が開かれた折大坂 佃村から隅田川下流の中洲(佃島)に漁民を呼んで海の小魚を
料理し佃煮を作らせたのが始まり。奥村吉郎兵衛は明治初期東京佃島で製法を学び郷里
霞が浦湖畔の茨城県行方市粗毛で淡水魚のハゼやワカサギで作り始めた。其の時代
肥料にしかならなかった、霞ヶ浦のハゼやワカサギを梅干のように日持ちのする食材にした、
このような文章を見せられたので、確かめました。
行方市粗毛上羽神社の碑
「真沙魚」「」、「沙魚」、「蝦虎魚」ハゼの漢字は色色有ります。
魚偏に少と魚もハゼのようです。
金乃丞の文字も見えます。
浅次郎が金乃丞の息子 石碑の裏の文字
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09年10月暦:初投稿
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